宗教と科学は似てる?宗教と科学の混同

宗教と科学は対立するものであると考える人が多いかと思いますが、実際のところ、宗教と科学の区別がついていなかったり、混同してしまっている人もいるように思います。そこで、宗教と科学について、ごく簡単に触れてみます。

宗教と科学(技術)の混同

アニメやゲームなどでは、しばしば次のような物語が出てきます。ある人物が死んでしまうが、その人物のデータが実は保存されていて、そのデータを再構成し、AIとして再び登場する、というようなものです。

これはAIという最先端の科学技術を用いてはいますが、やっていることの本質は死者の復活であり、そして死者の復活は宗教の大きなテーマとされています。

覚えている人もいると思いますが、2019年の紅白歌合戦で、美空ひばりがAIとして登場するということがありました。これも同じことで、要するに美空ひばりを「復活」させているわけです。当時、言語化している人はあまりいなかったように思いますが、AI美空ひばりに違和感を覚えた人は、おそらくこの宗教性に反応されたのでしょう。

ところで、宗教の1つの役割、機能として、遠くにいる人や存在とのコミュニケーションを実現させるというものがあります。人は古来から、遠くの存在とコミュニケーションを取りたいという欲求を持っていました。典型的なところでは、死者とのコミュニケーションを挙げることができます。昔の人は、死者は死んで終わりではなく、この世ではない別の世界で生きていると考えていました。その人とコミュニケーションを取るために宗教が一つの役割を果たしていたと言えます。

そして、科学も遠くの人とのコミュニケーションを実現してきました。テレプレゼンスです。要するに、テレビやテレフォンなどの「テレ」です。科学(正確には技術と言うべきですが)は人間の欲求を叶えるものなので、科学においても遠くの人とのコミュニケーションを実現させることが重視されるのはある意味では当然と言えるでしょう。ここに宗教と科学の接点があるわけです。

もう少しわかりやすい例を出そうと思います。宗教では、遠い世界をこの世で再現しようとしてきました。たとえば、教会(特にカトリック)は神の国をこの世で表現しようとしたものですし、仏教においても立体曼荼羅で仏の世界をこの世で表現しようとしました。これも遠い世界とのコミュニケーションと言えます。そして、現代では、VRやARといったものがあります。つまり、これも、この世には本来ないものをこの世において表現しようとしているのです。

このように考えてみると、宗教と科学は必ずしも対立するものではなく、むしろ相性がいいとさえ言えるでしょう。

宗教と科学の混同がもたらすもの

別に問題がなければいいじゃないかと思われるかもしれませんが、宗教と科学が混同されることで実際に問題が生じる可能性があります。

記憶に新しいものでは原発の安全神話を指摘することができます。大地震が起きるまで、原発の安全性を批判的に捉えることができませんでした。科学を信仰してしまっていたのです。

また、身近なところではカルト問題を指摘することもできるでしょう。統一教会の件もあり、カルト問題がかなり注目されましたが、多くの新興宗教は科学的であることを強調します。宗教の名前に「科学」が入っているものをいくつか挙げることができる人もいるのではないでしょうか。多くの場合、そのような宗教は、科学と言いつつもやっていることは科学ではありません。しかし、それに気づける人は少ないのです。

問い続けることが重要

このように、宗教と科学は混同されることで実際に問題を引き起こします。このようなことを避けるためには、宗教とはなにか、科学とはなにか、ということを問い続けることが重要です。